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我が家の歴史4:医師の家系図 [山都の菊地家]

我が家の歴史を語るのに家系図があるとどの辺の話をしているかわかりやすくなります。それをどう作ろうかずっと考えていました。我が家の過去帳は清和源氏から始まっていますが、そこからとなると長くなり過ぎてしまうので、古文書「醫業相傳(伝)」をもとに初めて医師となった菊地壽軒景保からの家系図を試作しました。(それ以前の記述も面白いのでそれはいずれ紹介したいと思います。)

家系図の原型は私の母が大きな紙に手書きしたものがありますが、情報量が多くそれをどう整理してデジタル化するかが課題でした。もうひとつの課題は、どの範囲までの人を載せるかを決めることです。直系親族の兄弟姉妹やそれぞれの配偶者や子をどこまで載せるか、存命中の方はどうするか、など。色々悩みつつ家系図を試作しました。

今回は影響が少ない医師を継いだ人だけの家系図を紹介します。存命中なのは一番下(十三代)の、私の弟だけです。私の曾祖父の三郎の兄の一角さんが含まれていますが、そこは「醫業相傳」に従いました。もう少し詳しい家系図は、全体を公開すると差し障りがあるといけないので、今後の記事中で、その時必要な部分に限定して紹介しようかと考えています。

*我が家の直系の人物以外はご子孫など関係者の方もいらっしゃると思うのでなるべく敬称をつけてご紹介したいのですが、説明の都合上省略する場合もあります。その点ご了承ください。

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初代:壽軒景保、二代:皓軒景信、三代:皓庵、四代:元皓信盛、五代:元秀武正、六代:良琢武仁、七代:良僲久敬、八代:一齋為貞、九代:一角、十代:三郎、十一代:耕一、十二代:敬一、十三代:誠一

三代の皓庵は、「醫業相傳」には名前がありますが、なぜか過去帳に名前がありません。過去帳自体が、分家した時に書き写したものらしく、書き落としたのかも知れないし、誰かと混同している可能性もありますが、そのまま記載しました。他に資料もなく、この辺りはもう調べる手段がないのが現状です。

五代の元秀とその妻からはお墓やお位牌があり、実在していたことがわかります。残念ながら、古いお墓は墓石がもろくて損傷がひどく、状態のよい数墓を残して整理せざるを得ませんでした。八代が我が家の歴史1で紹介した一齋で、ここまでが武士、以降は平民ということになります。

次回のこのシリーズでは三郎とその一家からまた紹介していきます。最近見つかった資料もあるので、それらもご紹介していく予定です。


ここでとりあげた内容や菊地家関連の情報をお持ちの方はご一報いただければありがたいです。個人情報に関わる内容についてはコメント欄ではなく以下へご連絡ください。どうぞよろしくお願いいたします。

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タグ:山都町
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コメント 1

himika

年号が間違っていたところがあり、訂正して差し替えました。
西暦と和暦を混同してしまって間違えてしまいました。
よりによって弟の生まれた年を間違うとは(笑)
オリジナルの画像はもっと鮮明なのにブログにはるとぼやけてる。
以前と同じ作り方をしたはずなのに・・・。
原因が分かったら直します。
すみません。
by himika (2015-07-11 12:03) 

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