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我が家の歴史10:菊地睦(きくちむつ)について(2)ミシガン大学に入学 [山都の菊地家]

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前回(我が家の歴史9)に引き続き、私の祖父の姉で、アメリカ留学をした菊地睦(きくちむつ)を紹介します。

*我が家の直系の人物以外はご子孫など関係者の方もいらっしゃると思うのでなるべく敬称をつけてご紹介したいのですが、説明の都合上省略する場合もあります。その点ご了承ください。

ミシガン大学の卒業生のL. L. バーバー氏が東洋の女性の教育のために創設した奨学制度であるBarbour Scholarshipの最初の2人の奨学生の1人としてミシガン大学に留学したバーバー氏の家で暮らしたあと、サダカタ氏とともにNewberryという寮で暮らしていました。1916年のイヤーブック(卒業アルバムのようなもの)にはNewberry寮のページにフレッシュマンとしてふたりの名前が掲載されています。つまりふたりとも1915年の秋に入学したことがわかります。同じイヤーブックのクラブ活動の中の「The Nippon Club」のページには、ふたりが他のメンバーとともに写った写真が掲載されています。

資料5:MICHIGANENSIAN 1916 The Nippon Club
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三人いる女性のうち誰がかを特定するため他の写真と比較した結果、前列左がフルヤ・ノブ氏、前列右がサダカタ・カメヨ氏と判明。菊地睦は前列右から2人目である。
出典:MICHIGANENSIAN 1916 The Nippon Club

資料6:University Of Michigan (1922)
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前列右から二人目がサダカタ・カメヨ氏である。

資料7:「Face of San Diego」
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ミシガン大学以外の資料「Face of San Diego」でみつけたフルタ・ノブ氏(一番左)。
出典:「Faces of San Diego」 著者: Colleen M. O'Connor
「Faces of San Diego」P.87

これらの資料から消去法でを特定した。
の姪にあたる金元知子氏もThe Nippon Clubの写真をみて、前列右から2人目がであると確認している。

長くなりますので、この続きは「我が家の歴史11」をご覧ください。

*時間が経ってしまうと、先祖の足跡をたどることはなかなか容易ではありません。山都在住で地元の歴史に詳しいO氏に色々教えていただきながら、私も調べられることを調べています。でもまだまだわからないことだらけです。きっと他にも情報を探している方がいらっしゃるはずと思って、このシリーズと書いています。この記事に関連した情報をお持ちの方はご一報いただければありがたいです。個人情報に関わる内容についてはコメント欄ではなく以下へご連絡ください。どうぞよろしくお願いいたします。

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タグ:山都町
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