我が家の歴史8:三郎の子どもたち [山都の菊地家]
長い間、続きを書けずにいた我が家の歴史シリーズを久しぶりに書きます。
前回までは、私の祖父の父である菊地三郎について紹介してきました。画家の石井柏亭氏や学習院大学の学長の安倍能成氏と交流があったことはすでに紹介しました。
今回からは三郎の子どもたちについて紹介します。
*我が家の直系の人物以外はご子孫など関係者の方もいらっしゃると思うのでなるべく敬称をつけてご紹介したいのですが、説明の都合上省略する場合もあります。その点ご了承ください。
私の曽祖父菊地三郎には三人の息子と5人の娘がいました。
長女 睦(むつ)明治26年生まれ
二女 隆(たか)明治28年生まれ
三女 誠(せい)明治29年生まれ
四女 慶(けい)明治31年生まれ
長男 武一郎(ぶいちろう)明治35年生まれ
二男 耕一(こういち)明治40年生まれ
五女 静枝(しずえ)明治44年生まれ
三男 退治(たいじ)大正5年生まれ
長女の睦さんについては改めて記事にしますので、その他の子どもたちを紹介します。
二女の隆さんは日本女子大学家政学部を卒業(14回生)、海軍主計中佐山口一氏と結婚し、息子が2人います。
隆さんは絵が上手で、地元の寺(東福寺)に隆さんが書いたと言われている板絵が残されています(上の写真)。また、実家で「山口タカ筆」と記述のある絵葉書をみつけました。「第二回女子美術展覧會」に出展したのでしょうか。タイトルは「さくら」と書かれています。
*クリックで拡大します。
三女の誠さんも日本女子大学を卒業。過去帳には「英文科に入り卒業」とあります。卒業生名簿を調べたら「特志16回生」のところに名前がありました。
誠さんは工学士板橋喜介氏と結婚し、4人の娘と2人の息子がいます。誠さんも絵が上手だったようで、我が家の歴史6でも石井柏亭氏との交流や二科展に入賞したことをご紹介しましたね。
四女の慶さんは、過去帳によると、「上野音楽学校を卒業」となっています。ピアノ科だったと伝わっています。商大出身の木村四郎氏と結婚、娘が一人います。
長男の武一郎さんは1歳で亡くなっています。
二男の耕一が私の祖父です。新潟大学医学部を卒業。医学博士。病院勤務を経て、渋谷区代々木で菊地外科医院を開業(外科、皮膚科)しています。息子と2人の娘がいます。
五女の静枝さんは、女子美術大学日本画科を卒業。芳賀氏と結婚し、女児を出産しますが、すぐに亡くなり、静枝さんも産後の肥立ちが悪く、22歳で亡くなっています。
三男の退治さんは国士舘中学卒業。日本大学歯学部に入学し、3年在学。25歳で亡くなっています。
このように、三郎の子どもたちはいずれも大学に進学し、娘たちは絵画や音楽など芸術方面に才能を発揮したようです。
息子は3人いましたが、長男も三男も早くに亡くなり、二男だった耕一(私の祖父)が跡取りとなりました。
*時間が経ってしまうと、先祖の足跡をたどることはなかなか容易ではありません。山都在住で地元の歴史に詳しいO氏に色々教えていただきながら、私も調べられることを調べています。でもまだまだわからないことだらけです。きっと他にも情報を探している方がいらっしゃるはずと思って、このシリーズと書いています。この記事に関連した情報をお持ちの方はご一報いただければありがたいです。個人情報に関わる内容についてはコメント欄ではなく以下へご連絡ください。どうぞよろしくお願いいたします。
2021-05-05 16:41
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