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我が家の歴史3:一齋の子どもたち [山都の菊地家]

我が家の歴史シリーズですが、今回は菊地一齋の子どもたちについてです。

菊地一齋(1831-1904)・やを(1839-1923)夫妻には4人の息子と3人の娘がいます。二男の次郎と四男の四郎は幼くして亡くなり、長男の一角と三男の三郎は医師となりました。長女の(よし)は河沼郡森野の山口貢氏と、二女の(とき)は安積郡冨田村の近藤美時氏と、三女の冨米(とめ)は河沼郡柳津の鈴木亀蔵氏と結婚したと伝えられています。三郎が私の曾祖父になります。

*我が家の直系の人物以外はご子孫など関係者の方もいらっしゃると思うのでなるべく敬称をつけてご紹介したいのですが、説明の都合上省略する場合もあります。その点ご了承ください。

4人いる男の子のうち長男だけが一角という凝った名前で、その下は次郎三郎四郎とは長男に対する期待が強い時代であったと感じます。そんな期待を背負った一角さんはなぜか菊地家を継ぐことはなく、かわりに三郎が継いでいます。菊地家に残る「醫業相傳」という墨書きの書類には三郎の名前の横に「祖家シ襲ク 大正元年八月」と書かれています。一齋は明治37年(1904年)に亡くなっており、大正元年(1912年)に家を継いだことや三郎の子どもたちの名前も書かれていることから「醫業相傳」は三郎が書いたものと考えられます。

一角さんはどこにいってしまったのでしょうか。一齋の石碑にわずかな手がかりがあります。碑文を解読して通釈をつけている山都町郷土史研究会発行の「山都の碑(いしぶみ)」によると、石碑には以下のような内容が書かれているといいます。

一角と三郎は早くから医業で一家を作り上げており(中略)一角君は其の県の岩瀬郡牧本村松本におり、三郎君は石狩国札幌郡札幌区にいる。
   「山都の碑(いしぶみ)」より引用 P.5

碑文が書かれたのは明治44年(1911年)ですが、その当時二人の息子がいた場所が書かれています。一角さんがいたとされる岩瀬郡牧本村松本とは現在の福島県岩瀬郡天栄村にあたるようです。(Wikipediaより)

一方、三郎ですが、その息子の耕一が残したメモによると、会津坂下で眼科を開業し、次いで小樽で開業していましたが、旧友桑名平吉氏が退職して郡山に戻る代わりに幌内炭坑病院長を数年つとめていたとのことで、ちょうど石碑が建てられた時期は札幌にいました。三郎は大正元年〜2年頃に会津に戻ってきたようです。

一角さんは安政5年(1858年)生まれ、三郎は元治元年(1864年)生まれなので、明治44年(1911年)にはそれぞれ53歳と47歳だったことになります。この翌年に三郎が家を継いでいることから、一角さんはそのまま(現在の)天栄村で医師として生涯を送られたのかもしれません。「明治十年戸籍」によると、一角さんの妻とらさん(旧姓芳賀)は岩瀬郡下松本村の出身(こちらも現在は天栄村になるようです)なので、奥さんの実家の近くで暮らしていたと考えられます。

我が家には一角さんのと三郎の「醫業開業免状」があります。

・菊地一角の醫術開業免状 *画像の複写はご遠慮ください。
ikkaku_EPimg054.jpg
  内外科醫術開業免状
     福島縣平民
      菊地一角
       安政四年四月生
明治十五年内務省乙第十四□達ニ依リ福島縣ニ於テ下付シタル
内外科醫術開業許可ノ證ヲ認諦シ此免状ヲ授與ス
明治十七年四月二十八日

  内務卿正四位勲一等 山縣有朋

 此免状ヲ勘査シ第一三一八□ヲ以テ醫籍ニ登録ス
   衛生局長
    内務省三等出仕正五位勲四等 長輿専齋


書類はこの倍の幅があり、左側は空欄のため、半分だけ表示しています。二つ折りにしてA4よりひとまわり小さいくらいのサイズです。□のところは左が「号」で右が上は「后」の上の方(口以外)で下が「巾」というような字です。

ここでは一角さんの生年が安政4年になっています。安政5年と紹介したのは「明治十年戸籍」をもとにしているのですが、どちらが正しいのでしょうね。

どうしてこれがうちにあるのかわかりませんが、ふつうの白い(現在はかなり黄ばんでいますが)紙にかかれたものなので、原本ではなく写しなのかも知れません。そうだとしても貴重なものであり、大切に保管しています。どこかに一角さんのご子孫がいらっしゃったら、直接おみせしたいと思います。

・菊地三郎の醫術開業免状 *画像の複写はご遠慮ください。
saburo_EPimg060.jpg
  醫業開業免状
     福島縣平民
      菊地三郎
       元治元年九月生
明治二十四年第二高等中学校醫学部ニ於テ受領シタル
医学全科卒業證書ヲ認諦ス
因テ明治十六年第三十号布告医師免許規則ニ據リ此免状ヲ授與ス
 明治二十五年三月十七日
  内務大臣正三位勲一等伯爵 副島種臣
  此免状ヲ勘査シ第六千九十六号ヲ以テ医籍ニ登録
  内務省衛局長従五位 荒川邦藏


こちらも実際はこの倍の幅があります。真ん中に「福島縣管下」と書かれた青い罫線の入った用紙に書かれています。

時間が経ってしまうと、先祖の足跡をたどることはなかなか容易ではありません。山都在住で地元の歴史に詳しいO氏に色々教えていただきながら、私も調べられることを調べています。でもまだまだわからないことだらけです。きっと他にも情報を探している方がいらっしゃるはずと思って、このシリーズと書いています。逆に、今回話題にした菊地一角さんやその妹さんたち(山口芳さん、近藤節さん、鈴木冨米さん)などの情報をお持ちの方はご一報いただければありがたいです。個人情報に関わる内容についてはコメント欄ではなく以下へご連絡ください。どうぞよろしくお願いいたします。

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