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会津柳津〜山都の旅(3)山都へ [会津めぐり]

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しばらく間があいてしまいましたが、9月の会津の旅の続きです。これまで旅についてはこちら()をご覧ください。

柳津の「瀞流の宿 かわち」さんに一泊して翌朝、赤い橋を模した螺旋階段を降りて食事どころへ向かいます。窓の外には只見川がみえます。



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朝食もおいしくいただきました。

女性スタッフの多い宿で、今日はどこに行くんですかとか、こういうみどころがありますよとか、色々声をかけてくださって、居心地よく過ごすことができました。お世話になり、ありがとうございました。


さて、今日は父の故郷になる山都町に向かいます。電車で行くとしたら只見線でいったん会津若松まで戻る形になりますが、かなり時間がかかかってしまいます。しかも只見線が運転見合わせ中だったため、宿の方にタクシーを呼んでいただいて、タクシーで向かいました。

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到着したのは喜多方市役所山都総合支所。以前は山都町役場だったところです。今は喜多方市と合併してこうなりました。ここで地元の知人(遠い親戚でもある)Oさんと合流しました。

山本支所長などが応対してくださいました。今回の目的はこちらで紹介した我が家の祖先菊地一齋の石碑の修復についての打ち合わせです。

石碑は明治44年(1911年)に建てられました。現在「小山公園」として喜多方市が管理している小高い丘の上です。104年の時を経て、傾いてしまったものを修復したいと思い、昨年から喜多方市にご相談してきました。我が家の希望としては、この碑を山都の歴史を語るものとして市で管理していただきたかったのですが、山都町だけでもたくさんの石碑があり、それぞれ碑にゆかりのある方に管理をお願いしているとのことで、それはかないませんでした。本来は碑を建てた人やその末裔の方が管理するのが基本のようですが、この碑を建ててくださった方を探すのは難しいことから、碑を建ててもらった菊地家の末裔ということで、今回は私の実家の方で修復することにして、そのことも市から了解をいただいていました。

碑が建っている場所が市の土地ということで、修復するにも許可が必要ということで、そのための手続きをするため、今回、母と山都を訪れたのでした。

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このように後ろに傾いてしまっています。しかもすぐ後ろは川に面した崖なので、我が家としては同じ位置ではなく1〜2m前に出させていただきたいと要望しました。建築分野にお詳しい星住民課課長補佐が急な業務で外出されていたため、午後に再度打ち合わせさせていただき、我が家の希望通りの修復を認めていただきました。きめ細かく対応していただきありがたかったです。

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市とのうちあわせのあと、小山公園に行ってみました。小さな公園ですが、こんな風に石碑がいくつも建っています。一番左が菊地一齋の碑です。木曽行政区の区長さんもみにきてくださいました。私たちはふだん東京に住んでいますが、地元の方たちとのつながりを大切にしていけたらと思います。


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後日、修復したあとの碑がこちらです。私たちは実物をまだみていませんが、Oさんが写真を送ってくださいました。崖ギリギリだったのが大分前に出て、真っ直ぐ安定して建っているようすに安心しました。我が家の先祖の菊地一齋のために地元の方が建ててくださった碑を後世に残していける形に修復できてよかったです。お世話になったみなさん、ありがとうございました。


このあと母とともに先祖のお墓参りをしましたが、そこは個人的なことなので省略します。ランチに立ち寄った素敵なお店については別記事でレポートします。

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