斗南に行きたい(斗南会津会百四十五周年) [会津会]
6月6日(土)〜7(日)に斗南会津会の百四十五周年記念の行事が開催されます。私もさまざまなご縁に導かれて、参加する方向で進んでいます。
いただいた資料によると、それぞれ以下の予定になっているようです。
6月6日(土)
16時〜 斗南會津会総会
16時30分〜 松平家第14代当主 松平保久氏の講演会
18時〜 斗南会津会誌発刊記念レセプション及び百四十五周年献霊祭前夜祭(会費制)
*いずれも場所は、むつグランドホテル
6月7日(日)
10時〜 百四十五周年献霊祭(法要) 円通寺
*終了後、墓参
ご興味のある方は、事務局(連絡先はこの記事の下の方に記載)にお問い合わせください。人数に限りもあるようなので、お早めにどうぞ。
斗南(となみ)は、戊辰戦争に敗れた会津藩が再興を目指して赴いたところで、青森県の下北半島周辺の地域を中心に、三戸と五戸にも領地があったとのことです。人々は不慣れな土地で、極度の寒さと飢えに苦しみ、多くの方が犠牲になりました。
私が斗南に関心を持ったのは次のような経緯がありました。
一昨年、NHK大河ドラマ「八重の桜」で会津の歴史をあらためて学ぶことができ、そこから色々な出会いがありました。まず、会津松平家のご当主保久さまをゲストに迎えた歴史イベント(レキシズル)を知り、「お殿様にお目にかかりたい!」との一心で出掛け、講演のあとお殿様にご挨拶することができました。お殿様や会津会の会員のYさんから読むようにと強く勧められたのが「ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書」でした。
この本は、会津出身でのちに陸軍大将となる柴五郎氏が幼少期の斗南での苦労を詳細に書き綴った文書がベースになっており、布団もない吹きさらしの家で真冬でもむしろをかぶって寝ていたとか、食べるものがなくて凍った土を掘ってわずかな草の根を採ったり、時には死んだ犬の肉を分け合って食べたなど、あまりの過酷さに衝撃を受けました。
そんな矢先、ツイッターでたまにやりとりしていたKさん(主に趣味のミュージカルの話などをしていた)のつぶやきにピンときて、お声をかけました。「もしや柴五郎さまのご末裔では?」と。本当にそうでとてもびっくりしました。この時は直接面識はありませんでしたが、のちに会津会などにお誘いし、お目にかかることができました。
考えた末に会津会に入会した私は、初めて参加した会津会の総会で、「炎は消えず 瓜生岩子物語」の著書の廣木明美氏と同じテーブルになり、ご挨拶することができました。私は同書を偶然知り、会津の女性である瓜生岩子氏に関心を持って読んでいたのです。幕末の会津で戊辰戦争に傷ついた人や孤児を助け、社会福祉の母と言われた会津女性の筋の通った生き方にはとても感銘を受けました。廣木氏には私の職場でも講演していただき、以来、会津会等でもお話しさせていただいています。廣木氏がよく「斗南に行きたい」とおっしゃっていて、ますます斗南に関心が向いていきました。
そんな流れから、斗南会津会百四十五周年への参加の話が出てきました。東京の会津会でも話題になっていました。どうして百四十五周年がそんなに記念の年なんだろうと思ったら、斗南会津会誌の発刊記念だったのですね。また、会津のお殿様もご出席なさるということで、そういう時に参加できるということも貴重な機会であるとのことです。
私はまだまだ斗南についての知識が乏しいので、事前に色々調べておこうと思います。
斗南会津会の詳細については、事務局にお問い合わせください。
◆斗南会津会 事務局(坂部啓二氏)
035-0032 青森県むつ市上川町3番28号
TEL 0175-23-5123
*会津会会報の広告欄の情報から
*参考リンク*
◆むつ市ホームページ「斗南藩の歴史」
http://www.shimokita-kanko.com/?p=2415
斗南藩パンフレット(PDF)
◆下北ナビ「斗南藩史跡」
http://simokita.org/sight/tonami/
*関連書籍*
◆「ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書」
◆「守城の人 明治人柴五郎大将の生涯」
*文庫本でもかなり厚い本ですが、「ある明治人〜」にはない柴五郎氏の後半生も詳しく綴られています。
◆「炎は消えず 瓜生岩子物語」
*斗南とは直接関係ありませんが、幕末の会津の窮状がよくわかります。
いただいた資料によると、それぞれ以下の予定になっているようです。
6月6日(土)
16時〜 斗南會津会総会
16時30分〜 松平家第14代当主 松平保久氏の講演会
18時〜 斗南会津会誌発刊記念レセプション及び百四十五周年献霊祭前夜祭(会費制)
*いずれも場所は、むつグランドホテル
6月7日(日)
10時〜 百四十五周年献霊祭(法要) 円通寺
*終了後、墓参
ご興味のある方は、事務局(連絡先はこの記事の下の方に記載)にお問い合わせください。人数に限りもあるようなので、お早めにどうぞ。
斗南(となみ)は、戊辰戦争に敗れた会津藩が再興を目指して赴いたところで、青森県の下北半島周辺の地域を中心に、三戸と五戸にも領地があったとのことです。人々は不慣れな土地で、極度の寒さと飢えに苦しみ、多くの方が犠牲になりました。
私が斗南に関心を持ったのは次のような経緯がありました。
一昨年、NHK大河ドラマ「八重の桜」で会津の歴史をあらためて学ぶことができ、そこから色々な出会いがありました。まず、会津松平家のご当主保久さまをゲストに迎えた歴史イベント(レキシズル)を知り、「お殿様にお目にかかりたい!」との一心で出掛け、講演のあとお殿様にご挨拶することができました。お殿様や会津会の会員のYさんから読むようにと強く勧められたのが「ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書」でした。
この本は、会津出身でのちに陸軍大将となる柴五郎氏が幼少期の斗南での苦労を詳細に書き綴った文書がベースになっており、布団もない吹きさらしの家で真冬でもむしろをかぶって寝ていたとか、食べるものがなくて凍った土を掘ってわずかな草の根を採ったり、時には死んだ犬の肉を分け合って食べたなど、あまりの過酷さに衝撃を受けました。
そんな矢先、ツイッターでたまにやりとりしていたKさん(主に趣味のミュージカルの話などをしていた)のつぶやきにピンときて、お声をかけました。「もしや柴五郎さまのご末裔では?」と。本当にそうでとてもびっくりしました。この時は直接面識はありませんでしたが、のちに会津会などにお誘いし、お目にかかることができました。
考えた末に会津会に入会した私は、初めて参加した会津会の総会で、「炎は消えず 瓜生岩子物語」の著書の廣木明美氏と同じテーブルになり、ご挨拶することができました。私は同書を偶然知り、会津の女性である瓜生岩子氏に関心を持って読んでいたのです。幕末の会津で戊辰戦争に傷ついた人や孤児を助け、社会福祉の母と言われた会津女性の筋の通った生き方にはとても感銘を受けました。廣木氏には私の職場でも講演していただき、以来、会津会等でもお話しさせていただいています。廣木氏がよく「斗南に行きたい」とおっしゃっていて、ますます斗南に関心が向いていきました。
そんな流れから、斗南会津会百四十五周年への参加の話が出てきました。東京の会津会でも話題になっていました。どうして百四十五周年がそんなに記念の年なんだろうと思ったら、斗南会津会誌の発刊記念だったのですね。また、会津のお殿様もご出席なさるということで、そういう時に参加できるということも貴重な機会であるとのことです。
私はまだまだ斗南についての知識が乏しいので、事前に色々調べておこうと思います。
斗南会津会の詳細については、事務局にお問い合わせください。
◆斗南会津会 事務局(坂部啓二氏)
035-0032 青森県むつ市上川町3番28号
TEL 0175-23-5123
*会津会会報の広告欄の情報から
*参考リンク*
◆むつ市ホームページ「斗南藩の歴史」
http://www.shimokita-kanko.com/?p=2415
斗南藩パンフレット(PDF)
◆下北ナビ「斗南藩史跡」
http://simokita.org/sight/tonami/
*関連書籍*
◆「ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書」
ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書 (中公新書 (252))
- 作者:
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1971/05
- メディア: 新書
◆「守城の人 明治人柴五郎大将の生涯」
*文庫本でもかなり厚い本ですが、「ある明治人〜」にはない柴五郎氏の後半生も詳しく綴られています。
◆「炎は消えず 瓜生岩子物語」
*斗南とは直接関係ありませんが、幕末の会津の窮状がよくわかります。
タグ:斗南
2015-02-28 17:59
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